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演奏史譚 1954/55  新刊

クラシック音楽の黄金の日日 

演奏史譚 1954/55

クラシック音楽界が最も熱かった激動の2年間を、のこされた音源 をもとに再現する、壮大な歴史絵巻……!

著者 山崎 浩太郎
ジャンル クラシック音楽 > 音楽史
出版年月日 2017/03/23
ISBN 9784865980295
判型・ページ数 4-6・424ページ
定価 本体3,200円+税
在庫 在庫あり
 
 

目次

はじめに

第一部 一九五四年

第一話 ニューヨークの吉田秀和
第二話 トスカニーニの《仮面舞踏会》
第三話 カラス、カラヤン、そして
第四話 RCAのステレオ録音開始
第五話 メキシコに死す ~クレメンス・クラウス~
第六話 去りゆくマエストロ ~トスカニーニ最後の演奏会~
第七話 バルトークの墓 ~ニューヨークのアヅマ・カブキ~
第八話 リリー・クラウスと『戦場のメリークリスマス』
第九話 バックハウス、東へ
第十話 来朝楽人の春、指揮権発動の春
第十一話 『シベリヤ物語』と《森の歌》
第十二話 二曲の交響曲 ~ショスタコーヴィチとムラヴィンスキー~
第十三話 荘厳な熱狂 ~パリのフルトヴェングラー~
第十四話 テルアビブの人々
第十五話 モンテヴェルディ事始
第十六話 ターリヒと「プラハの春」
第十七話 レッグ・ザ・プロデューサー ~ウォルター・レッグとレコードの世紀~
第十八話 オイストラフ、西へ
第十九話 デッカのステレオ録音開始
第二十話 ロジンスキーとウエストミンスター・レーベル
第二十一話 クレンペラーの帰還
第二十二話 ブルックナー事始
第二十三話 ザルツブルクの小枝
第二十四話 九十四丁目の孤独 ~ホロヴィッツ~
第二十五話 死ぬことを拒否したオーケストラ ~シンフォニー・オブ・ジ・エア~
第二十六話 ハリウッドより ~ハイフェッツとコルンゴルト~
第二十七話 バーンスタインとテレビの時代
第二十八話 アメリカの好青年 ~クライバーン~
第二十九話 原爆を許すまじ ~ケンプとゴジラと第五福竜丸~
第三十話 フルトヴェングラーの死
第三十一話 砂漠 ~吉田秀和と別宮貞雄~

第二部 一九五五年
  
第三十二話 メトの黒人歌手
第三十三話 「神童」~渡辺茂夫とプリさんグルさん~
第三十四話 ここに泉あり ~群馬交響楽団の夢~
第三十五話 大阪にオペラを ~朝比奈隆と武智鉄二~
第三十六話 嵐の前 ~ジョルジュ・シフラ~
第三十七話 カラヤン、玉座に
第三十八話 ディーヴァの降臨 ~ヴィスコンティとカラス~
第三十九話 オイストラフ来日 ~仕掛人、小谷正一~
第四十話 ショパン・コンクールの人々
第四十一話 銀二ミラノへ行く ~山根銀二とスカラ座のカラス~
第四十二話 一九五五年のバッハ(一)~アンスバッハのリヒター~
第四十三話 一九五五年のバッハ(二)~グールド登場と若者の世紀~
第四十四話 一九五五年のバッハ(三)~プラードの「聖者」カザルス~
第四十五話 バイロイト・オン・ステレオ
第四十六話 二つのベルリン、一つのウィーン
第四十七話 「バイロイトの第九」発売

エピローグ 一九五六/五七年、王は死せり

あとがき
引用文献・主要参考文献
索引

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内容説明

フルトヴェングラー死去、トスカニーニ引退… 19 世紀生まれの巨匠たちは去り、カラヤン、バーンスタイン、マリア・カラスらが頂点に立った冷戦の最中。東西両陣営の威信をかけて音楽家たちは西へ、東へと旅をする。ステレオにより「レコード」黄金時代が到来しグールドという新世代のスターが誕生。――――その時、吉田秀和、山根銀二は何をみて、きいたのか。

 

~本文「はじめに」より以下抜粋~
一九五三年、すなわち昭和二十八年三月号の『音楽之友』に、「クルト・ウェス音楽芸談」という談話記事(ききては渡辺護)が載った。
語り手のクルト・ウェスは、一九一四年生まれのオーストリアの指揮者。一九五一年九月からはるばる日本を訪れ、NHK交響楽団の常任指揮者をつとめている。月一回の定期や演奏旅行のほぼすべてを一人で指揮して、大車輪の活躍をしていた。
ウェスは来日後の印象を語る。「こんなに盛んに音楽が行われているとは思いもかけなかったのです。東京には四つも交響楽団があり、殆んど毎晩のように音楽会が行われているのは驚くべき事実ですよ。勿論その水準はウィーンやベルリンやパリのようには行きませんが、既に基礎はできていると思います。殊に大きな聴衆層を持つていることは強みだと思います。ヨーロッパの諸都市だと第三、第四位の管弦楽団は入りが甚だ悪いのが普通ですが、東京ではどこも満員ですからね」と、本国では予想もつかなかった、極東の小国での西洋音楽の隆盛に驚きを述べた。
そして、演奏水準もアテネやリスボンくらいには達しているし、三十年後には欧州に追いつ
き、世界の音楽中心地(メトロポール)の一つになるだろう、と予想した。一方で、中国やインドでの洋楽熱はそれほどでもないのに、なぜ日本だけがアジアのなかでこんなに西洋音楽に強い関心を持つのだろうと、不思議がりもした。
その水準を高めるには音楽家をどんどん外国に送り、留学させるべきだと語り、さらに次のように付け加えた。
「然し、外国へ行くのは演奏家や作曲家ばかりでなく、批評家も行かなければ駄目ですよ。外国へ行つたことのない批評家には批評は出来ません」「レコードだけを聴いている批評家には実演の管弦楽の演奏批評が出来る筈がありません」「日本は音楽家のみならず批評家を外国に送る必要があります」
この発言は物議をかもした。当時、戦前戦中に欧米へ留学した経験をもつ批評家なら大田黒元雄や堀内敬三、野村光一、属啓成、渡辺護などがいたが、敗戦後にはいなかった。一流演奏家の来日も限られ、欧米の交響楽団となると、ただの一つも日本に来たことがなかった。
ウィーン・フィルであれベルリン・フィルであれ、大半の批評家はSPやLPでしか聴いたことがない。それゆえ、この批判は急所をついていた。
ウェスの言葉に発奮して、この年の末に初の欧米旅行に出発したのが、音楽評論家の吉田秀和である。そして二年後の一九五五年春には、山根銀二が西ヨーロッパと共産圏を回る旅に出た。
二人が遺した旅行記には、トスカニーニとフルトヴェングラーが舞台から姿を消し、代りにカラヤンやマリア・カラス、カール・リヒターなどが頭角を現して、大きく転換していくクラシック音楽の現場が、鮮やかに描き出されている。この時代の音楽家たちが生きるのは、日本も含めて東西冷戦の厳しい対立の下にある国々であり、その活動に政治状況が暗い影を落とすことも少なくない。
一方、その背後ではステレオ録音の開発が進み、レコードの写実性も、そして魅力も、大きく可能性を拡げようとしていた。またラジオとテープ録音の普及は、吉田や山根が見聞した実演の多くを、レコードとして後世に伝えてくれた。
たかがレコード、されどレコード。ウェスが言うとおり盲信は禁物だが、しかしそれは、文章だけでは味わえない音の響きを、時代の匂いを、ある程度まで甦えらせてくれる。
一九五四年と五五年。二十世紀の半ばを過ぎたばかりの――二十・五世紀と呼ばれたりした――この二年間には、過去を締めくくり、未来を予告する、つまり百年間の過去と未来を凝縮した「現在」がある。
この二年間を、これから吉田や山根たちとともに旅していきたい。物語は一九五三年の大晦
日、吉田秀和が「二十世紀の首都」ニューヨークで新年を迎える晩から、始まる。

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