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フリッツ・バウアー  新刊

アイヒマンを追いつめた検事長

フリッツ・バウアー

ナチスの戦争犯罪の追及に生涯を捧げ、アドルフ・アイヒマンを裁判に引きずり出したドイツの検事長、フリッツ・バウアーの評伝。

著者 ローネン・シュタインケ
本田 稔
ジャンル 歴史 > 世界史
出版年月日 2017/07/20
ISBN 9784865980257
判型・ページ数 4-6・392ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 
 

目次

日本語版への序文
序文
第一章 アイヒマンを裁判にかけたドイツ人―フリッツ・バウアーの秘密
第二章 ユダヤ教徒としての生活―戦後の評価が定まらない法律家が語らないこと
 無口な熱血漢―バウアー博士の沈黙
 それへの帰属を望む一つの家族―帝政時代の幼少期
 チャヌッカとバール・ミッツヴァ―自意識を育むための教育
第三章 一九二一年から二五年までの人格形成期―才能の開花
 二三人の友人
 ユダヤ学生連合
 「ドイツ的なものに対する信仰告白」―シオニストとの軋轢
 チュービンゲン―虎の穴
 産業界の第一人者が喜ぶ博士論文
第四章  ワイマール共和国の裁判官―浮上する災いとの闘いのなかで
 執務室のドアをノックする音
 ドイツ国旗党の旗の下に結集した赤色活動家―平行線をたどる司法という世界
 ユダヤ人バウアーの態度を隠蔽する司法省?
 クルト・シューマッハーとの二人三脚―突撃隊との街頭闘争
第五章 強制収容所と一九四九年までの亡命
 強制収容所のなかで
 一九三六年 デンマーク―保護観察付きの犯罪者のように
 隔絶状態の試練
 背後から迫るドイツ人
 一九四三年 スウェーデン―ヴィリー・ブラントと肩をならべて
 フリッツ・バウアーはいかにして博士論文を反故にしたか
 「時期尚早である」―一九四五年以降の政治と歓迎されざるユダヤ人
第六章 七月二〇日の人々の名誉回復―フリッツ・バウアーの功績
 亡命者とナチの亡霊の対決―一九五二年のレーマー裁判
 一九五〇年 ブラウンシュヴァイクの検事長
 「人々をすぐさま驚かせた質問」―レジスタンスを議論する国
 「級友のシュタウフェンベルク」―歴史を記述した最終弁論
第七章 「謀殺者は我々のそばにいる」―検察官の心模様
 何のために処罰するのか?
 「私は、自分がどこに向かおうとしているのかを自覚していました」
 ―人道的な刑法を夢見て
 前進の最先端―一九二八年の若き裁判官
 一九四五年のニュルンベルク裁判―光り輝く模範であり、威嚇の実例でもある裁判
 「君たちは、否と言うべきであったのだ」―法律違反を求めた検察官
第八章 偉大なるアウシュヴィッツ裁判  一九六三~一九六五年―その主要な成果
 休廷中のコカ・コーラ
 世界が未経験な出来事を演ずる舞台―バウアーの業績
 無神論者がイエス・キリストと議論する(が、モーセとは決して議論しない)理由
 強制収容所の一断面―バウアーの戦略
 客観的に被害者ではない「被害者」としての対峙
 舞台装置の背後に身を隠した舞台監督―バウアーの個人的役割
第九章 私生活の防衛―フリッツ・バウアーの葛藤
 自由に生きる人―バウアーのプライベート
 刑法典に残留している反動的なカビと検事長の義務
 同性愛の友人―一七五条をめぐって論争するバウアー
第十章 孤独への道―フリッツ・バウアーの悲劇的な運命
 同胞に対する恐怖―法律家とユダヤ人
 「彼と話ができる人などいませんよ」―フリッツ・バウアー率いる若き検察チーム
 「左翼はいつも理想社会の話をする」―人生最後の失望
第十一章 一九六八年の浴槽での死
謝辞
解説 戦闘的法律家フリッツ・バウアー―その法的実践の現代的意義
出典・参考文献
原注
人名索引

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内容説明

ナチスの戦争犯罪の追及に生涯を捧げ、ホロコーストの主要組織者、アドルフ・アイヒマンをフランクフルトから追跡し、裁判に引きずり出した検事長、フリッツ・バウアーの評伝!!
1963 年、フランクフルトで大規模な裁判が開始された。戦後もドイツに巣食うナチ残党などからの強い妨害に抗しながら、この裁判を前進させた1人の男がいる。ヘッセン州検事長フリッツ・バウアーである。彼はナチ犯罪の解明のために闘った。この時代に、かくも激しく敵視され、排除された法律家は他にはいない……。

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【日本語版への序文】

日本語版への序文

フリッツ・バウアー―それは誰か? 二〇〇〇年代の初頭、私がハンブルクの大学に入学したとき、この名前を初めて目にした。私は、刑法の講義を担当する講師にたずねた。しかし、彼はこのフリッツ・バウアーという人物のことを知らないと答えた。意外であった。というより、残念であった。

一九六〇年代、フリッツ・バウアーほど評価の定まらなかった法律家、挑発的な法律家はいなかった。そのため、当時のドイツでこれほど広く名前が知られた法律家もいなかったであろう。彼は、多くの人々によって挑発ともとられた歴史に残る裁判によって国を揺り動かした。しかし、このようなフリッツ・バウアーは、その後数年も経たないうちに完全に忘れ去られた。それはどのようにしてか?

ドイツ人は、彼らの多くがナチのイデオロギー下において実行した恐ろしい犯罪を戦後になって忘れることを望んだ。フリッツ・バウアーは、一九五〇年と六〇年代、それを語るよう強く求め、それを議論すべきテーマとして取り上げた。戦後の社会において、激しい討論を巻き起こした。それまで語られなかったこと―フリッツ・バウアーは、それらを全て白日の下にさらした。そのため、彼は多くの敵を作った。

フリッツ・バウアーが一九六八年に突然この世を去ったとき、ドイツ司法と社会の保守層にいる多くの人々は、安堵にも似た感情を覚えたのかもしれない。そうでなくても、彼らはバウアーの仕事を彼が行ってきたのと同じ意味において継続するつもりはなかった。フリッツ・バウアーのことを記憶に刻もうと心を動かされた人は、ほんのわずかしかいなかったのである。

少なくとも、フリッツ・バウアーが死去した直後、ドイツでは、人権のために尽力したことに対する賞賛は、フリッツ・バウアーには与えられなかった。しかも、ドイツの国民の大多数は、そのことを気にも掛けなかった。その後大学の研究所にフリッツ・バウアーの名前が付けられたのは、一九九五年になってからである。しかし、どれだけの人がその意味を理解しただろうか? この国のために非常に重要な貢献をしたフリッツ・バウアーのことが、なぜ教育機関においてさえ長いあいだ語られなかったのか? なぜ彼の名誉にちなんだ通りや広場ができなかったのか? フリッツ・バウアーとはどのような人物であるのかということを、なぜ若者は学んでこなかったのか? 二〇〇〇年代の初頭、フリッツ・バウアーとは誰なのかということを、ドイツの大学の刑法担当講師が一度も口にしなかったのはなぜなのか?―私は、この疑問を解き明かす答を持ち合わせていないし、その謎は明らかにされていない。それが本書を書かせた動機であった。

本書がドイツで出版された後、二〇一三年にある出来事が起こった。本書が非常に肯定的に受け容れられたのである。大手の新聞で書評が掲載された。数人の映画監督を、フリッツ・バウアーを主人公にしてスクリーンに登場させようという気持ちにさせた。『沈黙の迷宮』では、俳優のゲアト・フォスがバウアーを演じ﹆賞を受賞した。『国家と対決するフリッツ・バウアー』では、名優ブルクハルト・クラウスナーがバウアーを演じ、その映画は数多くの賞を受賞し、ドイツの国民に訴えかけた。さらに『検事長の記録』では、大物俳優のウーリッヒ・ネーテンがフリッツ・バウアーの役を演じた―バウアーを最もうまく演技できるのは誰か―ドイツの各世代の実力派の俳優が競い合ったかのようであった。

二〇一四年、私は、ドイツの最高レベルの裁判官、検察官、司法省幹部を前にして、フリッツ・バウアーについて講演するよう連邦司法省に招かれた。それは、新しく就任した司法大臣の法曹に向けたこのようなメッセージであった―フリッツ・バウアーを模範にせよ。連邦憲法裁判所長官のアンドレアス・フォスクーレン(教授)は、本書のために序文を寄せてくれた。それもまたメッセージであった―ドイツ法曹の職能団体は﹆フリッツ・バウアーを記憶することを嘲笑ってきたが、これによって自らの胸の内に象徴的にフリッツ・バウアーを迎え入れることになった。

間もなくして、ドイツではフリッツ・バウアーの名を冠した最初の学校ができた。さらに、その名を冠した通り、広場、法廷もできた。この国は、厄介者扱いされていた男の記憶を再び甦らせた。時代は、それを求めた。若者は、戦後のドイツを揺り動かしたフリッツ・バウアーに注目し始めた。彼は勇気を示した。残念ながら多くの法律家にはなかった勇気を、自己の良心に従う勇気を示した。彼が模範たりうる理由は、ただそれだけである。

フリッツ・バウアーからのメッセージ―従順でいられる権利など誰にもない。法律や軍の命令が犯罪的な内容である場合、それに背くことが個々人の義務である。簡潔に言えば、フリッツ・バウアーがナチ犯罪の解明のために起こした裁判は、我々の責務を本質的に問いただしたのである。さらにこのメッセージは、ドイツにだけ当てはまるものではない。それは普遍的な問いかけである。

私は、二〇〇五年、法学部生として素晴らしい一学期を日本で過ごした。本書が日本においても読まれることを願ってやまない。

二〇一七年五月 ミュンヘン

ローネン・シュタインケ

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